Global Nurseへの道

新卒で国際協力の道へ

きっかけ〜今から6年前〜

みなさん、こんにちは。

Mikiです。

 

今日は私が国際協力を目指したきっかけについてお話しようと思います。

きっかけは6年前の高校時代です。

 

私は高校2年まで何も夢がありませんでした。

しかし、ずっと関わる人々に笑顔になってもらえるような仕事をしたいと考えていました。

 

どんな仕事だったら人を笑顔にできるんだろうとずっと考えていて、、、

 

 

私は落ち込んだ時、音楽を聴くことで元気がでる。

それなら歌手なのか??と思ったり笑

 

いや、学校で辛いことがあった時、

逃げたくなったら保健室行って先生に助けてもらったから養護教諭かな?

などなど色々と考えていましたが、どれもピンと来ず。。。。

 

そんな中、将来の夢もないまま高校3年になり、

進路も決めないといけない中でも私は大学には行くけど

どこに行くとか何も考えてなく

漠然と琉球大学かなーとナメた考えでいました。

(沖縄大好きすぎて県外は選択肢にありませんでしたw)

 

社会科目は地理か日本史のどちらかを選択することになり、

地理しました。

授業では世界の気候や産業、人口など多くのことを学びました。

そして、ある日、先生が映画を見せてくれました。

その映画とは、、、、、

ホテル・ルワンダ

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この映画は1994年のルワンダ紛争の話で、ポスターにも書かれているように「真実の物語」です。

以下、あらすじです。

 フツ族の過激派が巻き起こした混乱状態の中で、ホテルの副支配人だったポールは自分の家族を救うことだけを考えた。しかし、虐殺が始まったことを知り、その重大さに気がついた彼はホテルにツチ族フツ族の難民をともに受け入れることを決断する。

 無力ながらも踏みとどまり続ける国連軍や有名ホテルとしてのステータスを盾に人々を過激派からかばい続ける一方で、ホテルの支配人として培った人間関係を利用して彼は1268人の難民の命を救うことに奔走する。

ホテル・ルワンダ - Wikipediayより

 

この映画にはレッドクロスや平和維持軍など実在する組織も登場します。

それからは世界で起きてることを知って、そこに行かなければと思うようになりました。

そして、どの職種を選択するべきか考えたところ医療者に辿りつき、最終的には看護師を選択しました。

なぜ、看護師かと言うと

「関わる人々やその家族、地域に寄り添いたい」と考えたことが理由です。

 

なので、私にとって看護師は国際協力をするための手段なんです。

けど、看護学科で勉強をしていて、この選択をしてよかったと心のそこから思います。

 

命の始まりと終わりは人に希望と絶望の両方を与えると考え、

その出来事を看護師として関わり、プラスに変えることができれば

どんな出来事よりも1番笑顔になってもらうためのエネルギーに変えることができると考えています。

 

だから、私は将来、看護師として国際協力をします。

 

実は、ルワンダ紛争で起きた虐殺が現在はミャンマーで起きています。

世界的にニュースになっているので知っている方も多いと思いますが、

ロヒンギャと呼ばれる人たちが虐殺にあっています。

多くの命が犠牲になり、隣国のバングラディッシュへ難民として逃れています。

 

9月に私は2週間ちょっとミャンマーへ行きました。

虐殺が行っているラカイン州には行きませんでしたが、国内の状況を肌で感じることができました。

旅の間、ルワンダ紛争のことを思い出していました。

このお話もまた今度、書きたいと思います!

 

現在、ルワンダ紛争のことを改めて学ぶためにこの本を読んでいます。

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なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記 
著者:ダレール,ロメオ
1946~。カナダの軍人(中将、2000年病気退役)、上院議員(2005年~)。1993年10月、停戦下のルワンダに派遣されたPKO部隊(国連ルワンダ支援団)の司令官となる。大虐殺の前とその過程を通じて、たびたび部隊の増強を訴えるが、有力国や国連の思惑からその容れるところとならず、惨劇を止められないまま駐留することを余儀なくされる。94年8月辞任。その後ルワンダでの体験から心的外傷後ストレス障害(PTSD)となり、2000年には自殺をはかり、公園のベンチで昏睡状態のところを発見される 

 


この本の内容はとても衝撃的です。最初の数ページ読むだけでも涙が止まらない。ちなみに、めっちゃ分厚いですw

頑張って読み進めても心がついていけません。

それくらい衝撃です。

けど、これがその時の現実なんだろうなと思います。

著者は実際に平和維持軍の司令官としてルワンダに行き、帰国後にPTSDになったそうです。なので、この手記を書くことがとても辛く、苦しかったんだろうなと、、、

それでも書いたのは真実を世界の人々に知ってほしいと想いからだと思いました。

ぜひ、興味を持った人は読んでみてください。

 

それでは、また〜♪

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(in East Timor)